マシンの効能。
小学生のころから、とにかくキライだった。
腕立て伏せ。
腹筋。
懸垂。
スクワット?
だってできないもん。
できないもんはキライになるよ。
それでも、
体育があるうちは無理矢理にでもやらされるし、若いうちはエネルギーもよく使うのだろうから、なんとなく成り立っていたのだろう。
自分のやりたいこととやりたくないことをある程度選べるようになって(その代り絶対的にやりたくないけどやらざるを得ないこともいっぱい増えたけどな!)、気が付けば、筋肉は衰え、体重は増えた。
衰えた筋肉で、90kgの体重を扱う腕立て、腹筋、懸垂、スクワットなどなおのことできるわけがない。
やがてキライを通り越して、「オレには縁のないものだ」という認識になり、一方へ傾いたベクトルは二度と振り向くことがない。
それが昨年までの私の状況だった。
トレーニングマシンは、これまで、「なんかボディビルとかやってる人たちが使うマッチョのための何か」という認識だったけれど、そればかりではないみたい。
「基本」だということでさわってみた4種目。
チェストプレス、これは腕立てだ。
アブドミナルクランチは、まんま腹筋。
ラットプルは懸垂。
レッグプレスはスクワット。
どれも、自分ではなくて"向こう"の方が動くのだけれど、相対的な話、作用としてはつまり同じことだろう?
90kgの重量に縛られたか細い筋肉の自分でも、必要十分な、安全でちょうどいい重量(20kgとか30kgとか)でそれらの運動と同等のことができる仕組みだ。
こんな僕でも、腕立てや腹筋や懸垂やスクワットで得られる効果を、積み重ねていけるのだ。
つまりこれは、弱いボクらのための補助器具なんだ。
てなことが、なんか面白いなって納得できたあたりで、僕の偏ったベクトルはくるりと方向転換した。
分かるってことは、おもしろい。
おもしろければ、好きになる。
マシンは、マッチョたちも限定的に活用してはいるけれど、むしろ奥の薄暗いところでダンベルやバーベルを使ってなんかやっている。
彼らはまた別の目的をもって別のところで生きているのだろう。
私は、積年の負債、劣等感という壁に阻まれて破産寸前だった負の蓄積を、今、楽しくコツコツ削っている。
続ける。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。